おまとめ 2ch

おまとめ 2ch

 シャムル農場とスニー周辺に展開する独軍砲兵は、シュヴー南側2キロ内外で独軍を待ち構えていた仏バリー師団に対し猛砲火を浴びせ、こちらも3日間激戦を続けて疲弊していた仏将兵はたちまち陣地を放棄して後退してしまいます

砲撃に続き開墾地を突進した普第75「ハンザ第1/ブレーメン」連隊F大隊と普フュージリア第90「メクレンブルク」連隊の第3中隊は、短時間の戦闘により居残っていた仏軍後衛に大打撃を与えて駆逐するとドンジー小部落を占領し、前後してトロニーとラ・フランセにも普軍が入りました

後退局面となった仏軍をB軽騎兵第3連隊の第4中隊が追撃してその集団に突入し約80名の捕虜を得ましたが、仏軍はユエートル(スニーの南3.9キロ

トロニーからは南へ2キロ程です)の北東方にある堡塁(址があります)に構えた砲兵や歩兵から猛銃砲火を浴びせられて退却する際、殆どの捕虜が逃げてしまいました

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しかしこの堡塁もB親衛連隊の第9中隊と第11中隊の一部が急襲して占領し、ここで日没を迎えた戦場では銃声が止むのです

 この夜、B第1師団はラ・プロヴァンシェール(スニーの南東4キロ)周辺で野営し、その前哨隊はユエートルの南北に展開します

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B第2師団はB胸甲騎兵旅団と軍団砲兵隊と共にドンニーやラ・フランセ周辺で野営しました

普騎兵第9、10騎兵旅団はスニーとトロニー周辺で野営、普騎兵第8旅団はコルマンヴィル(オルジェール=アン=ボースの西5.9キロ)で宿営するとヴァリーズ(コルマンヴィルの南西8.4キロ)の仏軍を警戒するため前哨を出すのでした

ヴァリーズではこの日(3日)午後、普胸甲騎兵第5「ヴェストプロイセン」連隊とB歩兵第3連隊第3大隊の強行偵察を仏軍守備隊が撃退していたのです

 普第17師団は「シュヴィイの夜間占領禁止」命令後も前衛砲兵がシュヴィイ城館(シュヴィイの西1.5キロ)を砲撃し、前衛歩兵が仏軍の去った城館を占領しました

結局、この師団本隊はシャムル農場周辺で野営に入り、メクレンブルク大公とその本営はボージョンシー・ル・キュイで宿営しました

 シュヴィイ城館☆ 12月3日の普第10軍団と夕刻以降の独第二軍ヌーヴィロー=ボワ周辺 3日、独第二軍の後続第二線となった普第10軍団は、ピティヴィエ周辺から出発すると午後3時にシヤール=オー=ボワ(ピティヴィエの南西14.4キロ)に到着します

普第19師団はこのままシヤールで宿営に入り、この日は僅か歩兵6個大隊、騎兵3個・砲兵2個中隊となっていた普第20師団は更にヴィルロー(シヤール=オー=ボワの西10.8キロ)に向けて行軍を続行します

 この師団長のヴィルヘルム・フォン・クラーツ=コシュラウ少将はロンヴィル(同西3キロ)に到着した直後、「ラ・トゥール農場の戦闘」(既述)の経緯を聞き、既に日が落ちたにも拘らず「ヌーヴィロー=ボワ(同西6キロ)へ前進する」と決するのです

クラーツ=コシュラウ将軍は「ヌーヴィロー=ボワの仏軍はシヤール=オー=ボワの仏軍の支隊で(当たっています)、本隊がシヤールから後退した後は少数の後衛だけになっているに違いない」と考えており、これはマルス=ラ=トゥールからメッス包囲を経て来て仏軍の行動を見て来た将軍の経験から導き出された結論でした

 しかし既に闇に閉ざされ風雪が吹きすさぶオルレアンの森北縁地域では砲兵を使用することが不可能で、それでも普第92「ブラウンシュヴァイク」連隊第1大隊はヌーヴィロー=ボワの東郊へ進み、その郊外の一軒家を奪取しますが部落東口のバリケードに構える仏兵から激しい銃撃を浴び、部落北郊外から攻撃した同連隊F大隊共々部落に迫ることが出来ません