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後述するベルサイユ仮講和条約では、ベルフォール市街とその周辺部を仏側に残し、代わりにマルス=ラ=トゥールやグラヴロットの戦いで戦場となったメッス西郊外の二村が独領となる、とされていますが、ベルフォール領土の範囲と代償となるティオンヴィル西の地方などはこの時点で確定していません

ベルフォール要塞(20世紀初頭)ベルフォールのライオン像・大きさが良く分かる一葉 ビスマルクは領土割譲が殆ど独の要求通りに通ったことで賠償金に対しては鷹揚に「60億を50億フランに負けてもよい」とします

とは言うものの50億フランでも気が遠くなるような金額であり、これについてティエールは著名な銀行家アルフォンス・ドゥ・ロチルド(出身地独語読みはロートシルト、英語読みではロスチャイルドです)に交渉と金融を依頼しました

ロチルドは所有するフェリエール城館(ファーヴルがパリ攻囲直後にビスマルクと会談したフェリエール会談で有名です)が独に接収され、やがては大本営もここへ移動(後述)しますが、ヴィルヘルム1世が城も備品も一切接収せず傷ひとつ付けるなと命じたおかげで城館はしっかり保持されました

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ビスマルクもパリ攻囲中はここに宿泊しており、アルフォンスとも旧知の中(ビスマルクは首相の前に駐仏大使です)だったため話は早かったと思われますが、アルフォンスもさすが世界有数の銀行家、家系がドイツ系で無論独語も話せましたが強かにも交渉中は仏語で通し、ビスマルク(こちらも仏語は得意です)をイラつかせたというエピソードが残ります(かくいうビスマルクもティエールやファーヴルとの交渉では独語で通したそうですが)

アルフォンス・ドゥ・ロチルド こうして交渉は5日間、大急ぎと言った感が拭えないまま休戦限界の2月26日を迎え、仮条約は調印となりました

この仮条約はお互いの政府がお互いの国会(若しくは権力者・国王)に諮って正式な条約交渉へ向かいますが、この承認の時間として休戦は3月12日まで延長されました

また同時に仮条約が批准されるまでの保障として独軍の「パリ進駐」を認める附則協定も結ばれるのです

☆ 1871年2月26日に締結された独仏仮講和条約並びに同附則協定書プロイセン国王兼ドイツ国皇帝陛下より講和協議全権を委任されたドイツ国宰相伯爵フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンバイエルン国王陛下の国務大臣兼外務大臣伯爵オットー・フォン・ブライ=シュタインブルクヴュルテンベルク国王陛下の外務大臣男爵アウグスト・フォン・ヴィヒターバーデン大公殿下の国務大臣兼内閣首班ユリウス・ヨリー以上諸氏はドイツ国を代表する

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フランス国共和政府の行政長官アドルフ・ティエール同国外務大臣ジュール・ファーヴル以上諸氏はフランス国を代表する

双方の全権委員による委任状が真正証明された後に追って締結する講和本条約の基礎となる次の条項を協定する

ブライ=シュタインブルクユリウス・ヨリー第一条フランス国政府は次に掲げる境界線の東方に位置する土地を全てドイツ国に移譲しこの土地に関する一切の権利と所有権を放棄する

この境界線はルクセンブルク大公国に接するカットゥノム小郡北西の境界に始まり、同郡とティオンヴィル小郡の西境を南に進んでブレイ郡に入り、モントワ=ラ=モンターニュとロンクール両村の西境とサント=マリー=オー=シェンヌ~サン=アイル~アボンヴィル各村の東境に沿いゴルズ小郡に至り、同小郡内のヴィオンヴィル~ビュシエール~オンヴィル各村の境界を南西に沿ってゴルズ郡を分断し、メッス郡の南境とシャトー=サラン郡の西方境界を進んでペットンクールに至り、この村の西境と南境を辿ってセイユ川とモンセル川(現・ルートルノワール川)の間にある高地尾根を通ってラガルドの南方でサルブール郡の境界線に達する

ここから境界線はサルブール郡の西境に沿いタンコンヴィル村の北境に達し、ここからザール・ブランシュ川とヴズーズ川の源流付近の間に在る高地尾根を進みシルメック小郡の北西境に至り、同小郡の西境を進んでサアール小郡のサアール、ブール(=ブリッシュ)、コロワ=ラ=ロシュ、プレンヌ、ランリュプト、ソーユール、サン=ブレーズ=ラ=ロシュ各村を東(即ち独領域)にして、その先はバ=ラン県とオ=ラン県の西県境を辿ってベルフォール小郡北境に至り、同小郡の南境をヴルヴナン近郊(の東側)で離れブローニュとフォワッドフォンテーヌ両村の南境に沿い、デル小郡のジョンシュレとデル両村の東境をスイス国境まで下るものとする

ドイツ国は永久に全ての主権と権利を保持しこの土地を占有すること